株式会社KSエンジニアリングとは?

“太陽光発電の普及・促進で社会貢献できる”

こう話すのは、釜谷正宏氏が代表を務める、株式会社KSエンジニアリングで実際に働いている人たちです。

同社は、世界規模で課題になっている温室効果ガス(地球温暖化の主な原因)を削減する「省エネルギー事業」を行っており、他にも、太陽光発電所の施工・販売に取り組む
「再生可能エネルギー事業」、省エネを目的とした改修工事などを行う「ソリューション事業」も展開しています。

同社の特徴は、プランニング → 設計 → 御提案 → 施工 → 保守 → メンテナンスまで一貫して自社で行っているところであり、25年もの間、妥協せず施工し続けてきた事から、年間1000件以上の施工実績を誇っています。

社員が誇りに思い、1つの企業をここまで成長させるのは生半可な努力では足りなかったはず。

今回は、株式会社KSエンジニアリングをここまで育て上げた、釜谷氏のルーツを、ご本人に直接伺ってみました。

育った環境を教えてください

私は石川県能登半島の輪島出身で、林業と農業を主としてきた生家(築200年、父親は14代目)で男3人兄弟の次男として生を授かりました。

山間部で生活していた為、まさに自然の宝庫の中で野生児の様に育ち、少学4年生で新聞配達を始め、中学3年生まで続けた事で「働くこと」を覚えました。

人に褒められ、更にお金までもらえた事が、その後の人生の一つのベースになったのだと思います。

当時は手にしたお金で好きなものを買い(自転車やグローブ、レコード等)結構思い通りに楽しんでいました。

私の父親は、寡黙で製材業をしており、母親はその仕事を手伝いながら農業をし、3人の子供達を育てていました。

自分の時間は殆どなく、常に誰かに尽くしていた姿が印象に残っています。

ただ自分は、誰に対しても優しい言葉の1つもない父親に反抗していた為、早く家を出たい一心で、親にも相談せず横須賀にある自衛隊の高校を受験しました。結果は“合格“、家を出る事を突然伝え、驚かれたのを覚えています。

印象に残っている幼少期のエピソードを教えてください

母が嫁いだ釜谷家は昔ながらの風習が残る家でした。

母は、毎日必死に働かなければ嫁として認めてもらえず、昼夜問わず家事、父の世話、子供の世話、田畑の仕事などに明け暮れていました。

私が1歳半になった時の事です。その日は冬で、私をこたつに寝かせて畑仕事に行った母は、帰ってきた時に、私がいなくなっていた事に気づきました。

もしかしてと思いこたつの中をのぞいたら、練炭の炎で、左足のかかとを大やけどしている私を見つけたそうです。

『味噌をぬっておけば治る』という祖母でしたが、当然言う事は聞かず、母は町の病院にまで毎日片道6キロの坂道を長い期間、行き来していました。

大やけどをしたかかとは、私が物心ついたときには体の一部となっており、それが普通となっていました。

歩いている時も、かかとから着地できない為、変な歩き方になっていたと思います。ただ、短距離を走るときは、あまりかかとをつかない為、普段の生活でも走っていた時の方が多かった記憶が有ります。

冬になると、かかとが“鯉のうろこ”の様にひび割れて、靴の中はいつも血だらけでした。これはいけないと思い、中学3年時に地域にある総合病院で2度の皮膚移植の手術を受けるも失敗し、高校2年時に自衛隊の中央病院で行った皮膚移植で、やっと成功しました。

さすが自衛隊は違うなと感心すると共に、かかとの傷を見るたびに母親の当時のつらかった状況を想像し、自分の心の引き出しにしています。

副産物は左太ももの付け根の鼠蹊部(そけいぶ)から皮膚を移植したため、かかとから毛が少し生えています。『世界広しといえどかかとから○○毛が生えている奴は、、、、』は私の必殺フレーズでどうしても勝てない相手には最後にこれで勝つようにしています。

どんな子どもと言われていましたか?

前術のとおり、かかとが悪い事を子供ながらに分かっていたので、友達より劣っているとは絶対に言われたくなかった“負けず嫌いで頑張り屋“な子供だったと思います。

象徴的だったのが、4年生から始めていた新聞配達です。夏は良いにしても冬は豪雪地帯の北陸地方、除雪車が通る前に家を出て、腰まで深い雪を掻き分けながら進まなければいけません。

そんな過酷な状況下で、ある冬の配達時に新聞の入った袋を誤って川に落として水浸しにしてしまった事があります。

大変な事をしてしまったと思い、一軒ずつ新聞受けではなく玄関をたたいて謝って回りました。その時、ずぶ濡れになっている新聞と私を見て、心配した人たちから、「みかん」や「お菓子」「タオル」などを手渡され、怒られると思っていたのが逆に励まされました。

ほとんどの家でお土産までもらってしまったので、始めは驚きましたが、そこからはっきりと 「しっかりとやらなきゃ」と心に刻んだことを覚えています。

カッコつけた言葉で言えば、<誠実さと愛と責任>の様なことを学んだと思っています。お手伝いでは無く、仕事として認識して行ったことが他の子どもと少し違う、頑張る少年になったのだと思います。

一番興味のあったことは何ですか?

新聞配達をどう効率よく配達できるかの研究です。

道順と地図を作製、タイムを計り、受け取る家の人やペットの特性まで調べて表にしていました。

色々と実験しては、表を作り直して楽しんでいました。

子供の頃描いていた将来の夢は何でしたか?また、その理由を教えてください

2つあります。

1つ目は世界10か国語を自由に操り、世界の国々を飛び回る“商社マン”になる事でした。
きっかけは、祖父から貰ったラジオ。夜布団で聞いていると、地域柄(能登半島)北朝鮮の放送が国内放送の音量の5倍くらいで流れていて、他にもそれを打ち消すかのようにアメリカのFEN(極東放送)が流れていました。

英語がなんとなくかっこよくて、何をしゃべっているのか理解する為に、一生懸命聞いていた事を覚えています。

それと重なり、世界に日本の商社が進出している放送をTVで見て、現地の言葉をしゃべって活躍している姿に憧れ、将来商社マンになる事を夢見ていたのです。

2つ目はロックギタリスト。その当時は、ギター、オーディオ、レコードなどを買っていましたが、何故か村のレコード屋で、訳もからず買ったのがハードロック。よくぞ、この店にそんな物が有ったと今でも驚きますが、新聞配達でお金は持っていたので、とにかく買いまくりました。

ディープパープル・レッドツェッペリン・エアロスミス・キッスは今でも聞いています。特にギタリストのリッチーブラックモアが好きでナイフの様に鋭いフレーズと奏法にあこがれてコピーしていました。

リッチーが静まった会場でいきなりギュイーンとギターを鳴らすと観客が一気に興奮状態になり歓声に包まれる映像を金沢の楽器店で見ていっぺんでファンになりました。

今後のビジョンとして、「エネルギーを賢く使う方向に転換する部分に特化して、半歩先を見据えて社会に必要な企業となる」事を掲げられていると思いますが、そのビジョンの為に、直近で取り組んでいる事などありましたら、教えてください。

釜谷正宏

再生可能エネルギーが注目されてまだ10年もたっていませんが、ここ数年で太陽光を中心に一気に導入が進みました。

これは政府が力尽くで政策を進めるために大きな税金と特別な節税を導入した結果、本来の目的から外れ、投資節税商品として普及した経緯が有ります。

当然これは長く続かず、「エネルギーを賢く作って賢く使う」という本来の方向に進みます。

産業革命から100年ほどで自動車の燃費は驚くほど改善しました。今から100年先を想像した時に日々の生活や活動は驚く進化をしているはずです。

その入り口となっているのが現在IoTといわれている人と物をNETでつなぐ技術です。

身近の例で言えば、“離れた場所からエアコンや照明等の機器をコントロールして無駄をなくし快適に過ごす”等が挙げられます。その際に様々なメーカーの年式の異なる機器を多様な通信方法でつなぐというシステムインテグレーターが必要になります。

我々ははじめ、工事会社としてスタートしました。以前なら機器を取り付けるだけでよかったのですが、これからは通信や制御などのソフトとハードの組み合わせに熟知した企業が必要となります。

メーカーとの協力や社会実験なども必要となるかと思います。その為の飛び交う情報を精査して積極的に取り組んでいきたいと思います。

現在は、エネルギーをなるべく使わない事に国は積極的に補助金(年間約1000億円)を投入しています。具体的にはエネルギー効率の悪い産業界に存在している機器を入れ替えなさい、その為に詳細な計画書の認定と共に補助金を利用しなさい、となっているのです。

申請書類は複雑多岐に渡っており司法書士などが技術系の企業やメーカーを携えて申請をして別の工事会社に施工させているのが現状ですが、弊社は実際に施工する工事部を社内に持つエネルギー診断が出来る数少ない企業の一つです。

よってその部分に集中して数年前より取り組んでいます。設置した機器には必ずメンテナンスが必要になります。

分業の場合それぞれの立場が違う事で、様々なロスが生じ顧客にとってかならずしも有益とはなりません。

弊社は一気通貫です。本来これは、工事会社が行うべき仕事だと思いますが、そのノウハウを得るには時間と資金と人材が必要になり中々進まないのが現状です。

そのノウハウの提供を含め数ある同業他社の環境改善の参考にも役立てる事ができれば幸いと思っております。

取材を通して感じた事

釜谷正宏氏のお話しを聞いていて気付いた事は、ご本人が子供の頃から大変な努力家だと言う事です。

子供ながらに強い責任感を持ち、過酷な環境下で新聞配達していたのも驚きましたが、会社を経営している今でも、お客様の事を考え、自社施工にこだわり続けてきた事で、独自の強み(エネルギー診断が出来る)を見出したところも、釜谷氏の努力と実行力があったからこそできた事だと言えるのではないでしょうか。

年間1000件以上の取引をするには、それ相応の理由があります。まして25年もの長い間継続して事業を続けられる企業はそうはありません。

今回ご紹介した釜谷氏は、その愚直な努力によって、お客様を獲得していったのです。

この記事が、株式会社KSエンジニアリングに興味を持っていただけるきっかけになったのなら執筆した甲斐があったというものです。

最後までお読みいただき有難うございました。

会社概要

商号
株式会社KSエンジニアリング
住所
横浜市都筑区池辺町4034
代表
釜谷 正宏
創立
平成 8年 7月10日
事業
・電気・電設・情報通信工事
・省エネルギー事業
・再生可能エネルギー事業
・ソリューション事業
・補助金コンサルティング